透析歴⑤
最近は料理とクルマのことばかりだったので、たまには本流(?)の透析関連の記事でも書きますか(笑)。
16歳(高校2年・7~8月)
養護学校の夏休みも、一般の学校と同様に、7月下旬から8月いっぱいまででした。
夏休み中には、5泊6日の外泊が2回できました(春休みや冬休みは1回)。
CAPDを導入して初めての外泊ということで、色々準備をさせられましたねぇ😅。
今までのように、身体ひとつで帰省するとゆーわけにはいかなくなったわけですから。
ダイアニールや交換キットは、メーカーから直接配送してくれたので、わざわざ病院から持っていく必要はありませんでした。
ダイアニールが最も嵩張る重量物だったので、大変助かりましたね。
1日に2リットルバッグを4個使用するので、5泊6日の外泊で単純計算で48㎏以上も運ばなければなりません。
実際は、濃度の違うダイアニールや予備も必要なので、それ以上となります。
逆に言うと、旅行の際にそれを自分で運べということなら、CAPD患者の旅行は不可能ですね。
50㎏以上の荷物なんか、運べっこないし!😅
外泊するにあたり、ダイアニールの交換手技の再確認を、延々とやらされましたね。
とゆーのもですね、以前にも書いた通り、交換をミスしてカテーテルを汚染しちゃうと大変なのですよ(苦笑)。
alport-touseki.hatenablog.jp
でも、所詮は人間の手作業なので、いくら万全を期してもヒューマンエラーは起こり得ます。
まして、外泊中に交換するのは、おっちょこちょいな神武少年です(笑)。
『万が一交換に失敗した際はどうすればいいのか?』と受け持ち看護師に訊いたら、驚くべき答えが帰ってきました。
『カテーテルをコッヘルで2ヵ所クランプして、そのまますぐさま帰院しろ』と…😅。
もう、唖然…、ですよね(笑)。
私の自宅と入院していた病院とは、直線距離で200㎞弱あります。
その距離を、昼間だろうが真夜中だろうが、とにかく駆けて戻ってこい、といってるわけです。
『いやぁ、近隣の病院でカテーテル交換してもらった方が安全じゃないか?』と私は思いました。
入院先の病院まで戻ろうにも、平日の昼間だと、当時家族で唯一免許とクルマを持っていた父親は仕事のため不在となるわけで、病院に戻るための『足』がありません。
近隣の病院(つまり、現在私が透析をし、医事課で勤務している病院ということになりますが…😅)までなら、頑張れば歩いてでも行ける距離です。
ところがですね、当時も今も、この近隣の病院はCAPDは扱ってないんですね。
そりゃ非常時でも交換はお願いできないわ😅。
恐らく受け持ち看護師は、そういうことをいろいろ調べてくれて検討した上で、汚染時は帰院という結論に達したのでしょうね。
CAPDは透析よりも食事の制限が少ないとはいえ、節操無く飲食OK❤というわけでは、当然ありません(笑)。
というわけで、外泊前に食事指導を受けることになりました。
栄養課で食事指導(栄養指導を)を栄養士から受けるわけですが、一緒に指導を受けたのが、この病院の付属の看護学校の学生さん『美加さん(仮名)』でした。
この美加さん、夏休みは地元に帰らずに、自主的に病院で研修するとかで、私のいた病棟にひと夏配属されていました。
理由はわかりませんが、看護学生の制服ではなく、普通の看護師の制服を着て研修してましたね。
まだ看護学生であり、看護師ではないので、当然ですが、看護師の業務はできません。
そこで、CAPD導入後初めての外泊となる私の担当となり、私が受ける指導などに一緒に付いて回ることになったのではないですかねぇ。
看護学生にしてみれば、透析やCAPD、病児の勉強にはなりますからね。
夏休み中、美加さんにはなにかとお世話になりました。
毎日のように顔をあわせていましたね。
でも、全然うっとうしくない(笑)。
まぁ、高校生男子にしてみれば、20歳くらいの女の人は、憧れのお姉さん的な存在でもありますから(笑)。
人懐っこい性格なうえに、かわいい人でしたし👍。
手ぶらで食事指導を受けに行った私に対して、美加さんは栄養士の一語一句聞き逃すまいと、熱心にメモを取りながら指導を受けていました。
本人より熱心って…😅。
この美加さん、夏休みが終わると看護学生に戻ったわけですが、数ヵ月後にまたお世話になることになります。
その話はまた後日(笑)。
つまらないCAPDの指導・勉強でも、美加さんのキャラのおかげで楽しかったですねぇ。
神武少年の忘れられない高2の夏休みの思い出です。