神武優里のアルポートな透析ブログ『終わらない明日へ』

透析患者で病院職員の四十路おっさん(笑) アルポート症候群の影響で難聴なのと、元々の性格から、なかなかの人見知り(苦笑) でも、透析歴30年を前に、他のアルポートや透析患者・関係者との接点を持ちたくてブログ開設しました。専門的な内容よりも、日々のなにげないエピソードを載せていきたいと思っています。

今日は父の日ですね(笑)

父の日に関連する父親の出来事・思い出などは、私にはまったく無いのですねぇ😅。

父の日といえば…。

養護学校の運動会が、ほぼ毎年父の日に行われていましたね。
親元を離れて生活している子供達の成長を確認する絶好の機会でもあるのでしょう。
多くの父兄が運動会を見に来ていました。
親子で参加する競技もありましたしね。

安静療法を行っている児童と運動療法を行っている児童とでは当然に参加競技が異なり、チームのバランスをとるために、病気の種類によって偏りが出ないようチーム分けされていました。
ダンスなどのアトラクション的なものもあり、気になる女の子と手を繋げるのが嬉しかった記憶があります(笑)。

小学部から高等部までの合同行事なので、チームは6歳から18歳までの年齢幅のあるチームになります。
チームをまとめるのは、やはり高等部。
必然的に応援団をつとめることになります。
応援歌は、当時流行っていた歌の替え歌です。
替え歌の歌詞も応援団が考えます。
6歳の子供でも歌える歌詞にしないといけないので、平易な言葉を用いなければなりません。
けっこう大変でしたね。
私が応援団をつとめた時は、当時の栄養ドリンクのCMソングだった、牛若丸三郎太『勇気のしるし』の替え歌でした(懐)。
私は最初、ビリー・ジョエルの『We didn't start the fire』を替え歌に選んだのですが、小学部教諭に『小学部低学年の子供には難しすぎる』と却下されました。
まぁそりゃそーでしょーね(爆)。

放課後に全校生徒がチームに分かれて、グラウンドや屋上で応援練習をしましたねぇ。
夜には、チーム毎に応援団が学校に集まり(といっても同じ建物の中なのですが😅)、応援の振り付けを考えたり、実際に太鼓や笛を使って応援の練習をしました。
時には相手チームの応援方法を偵察して、自チームの応援方法を変更したり…😅。

全員が病児なので無理はできませんが、よい結果を残そうと、見に来てくれた家族に格好いい姿を見せようと、みんな出来る範囲で努力していたと思います。


そして、ほぼ毎年父の日に開催されていて、忘れてはならないものがもうひとつ…。

ル・マン24時間レースです。
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私の記憶が確かなら、夏至に一番近い土日に開催されますよね?
ほぼ毎年、日本時間の父の日の前日の土曜日午後11時にスタートだと思います。

当時は、テレ朝の地上波でスタート1分前(午後10時59分)から翌朝の5時頃まで、生中継で放送していたと思います。

え~、私、翌日が運動会で、しかも応援団の大役をおおせつかっていたにもかかわらず、ル・マンを徹夜で観てました(爆)。

そんな真夜中にテレビが設置されている部屋で観ていると、もちろんラウンドの看護師に叱られて自室に帰されるので、こっそり持ち込んでいた小型の液晶テレビ(持ち込み禁止品)を使ってふとんの中で😁

運動会は3時頃には終わるので、ちょうどその頃の1時間の生中継は、堂々と病棟のテレビで観ることができます。

ゴールの生中継は消灯後なので、また自室でこっそり😅。

その間にCAPDのバッグ交換もありましたからねぇ。
当時の父の日は、私にとって一年で一番忙しくてタフな日だったかもしれませんね(爆)。