神武優里のアルポートな透析ブログ『終わらない明日へ』

透析患者で病院職員の四十路おっさん(笑) アルポート症候群の影響で難聴なのと、元々の性格から、なかなかの人見知り(苦笑) でも、透析歴30年を前に、他のアルポートや透析患者・関係者との接点を持ちたくてブログ開設しました。専門的な内容よりも、日々のなにげないエピソードを載せていきたいと思っています。

病院・養護学校・友人(高等部時代)

CAPD導入手術前後のことを語る前に、入院していた県立病院と友人の説明を少し(笑)。

 

透析導入した県立病院

その県立病院は小児医療(主に腎臓疾患と喘息)に力を入れている病院で、本館とは別棟で小児科病棟と養護学校が設置されていたんですね。

 

小児科棟はロの字型の建物で、主に東側が学校部分、それ以外の三方が病棟部分という区分けで、特に境界に区切りはなく、シームレスで学校部分と病棟部分を行き来できました。

子供の全速力で一周30秒ほどの大きさです(笑)。

病室にいても学校のチャイムが聞こえ、同じ階であれば鳴り終わるまでに病室から教室に駆け込むことも可能でした(爆)。

 

4階建の小児科棟は、

・1階:小1から小5の喘息児病棟(7病棟)と小学部低学年教室

・2階:小1から小5の腎臓疾患児病棟(8病棟)と小学部高学年教室

・3階:小6から中2と未就学児の病棟(9病棟)と中学部

・4階:中3と高校生病棟(10病棟)と高等部

といった区分けでした(おおざっぱにいうと、です😁)。

 

7病棟には小児科棟用の玄関や体育館がある、7と8病棟には本館と繋がる渡り廊下がある、9病棟には保護者が泊まることができるホテルセクションがある、10病棟には腎臓移植用の施設があるなど、細かな違いはありましたが、全ての階が似た造りでした。

 

小2の夏休みから高校卒業まで入院していた私は、成長するにつれて8➡9➡10と転棟していったわけですね。

 

高等部時代の友人

入院生活で中学卒業というのは、大きな節目でした。

義務教育である中学までと違い、高校在学中の転校は試験をともないます。

養護学校高等部に入学すると、病気が改善しても転出そのものが煩雑になるのです。

そんなわけで、一度高等部に入学・転入したら、ほぼ全ての児童が卒業まで入院します。

ですから、中学卒業と同時に退院する児童が多いわけです。

もちろん、私のように病状が退院を許さない児童は、高等部の入学試験を受けて入院継続となりますが…(泣)。

 

私の親しい友人達の大半が、中学卒業を機に退院していきました。

そして、大幅にメンバーが入れ替わったクラスで始まった高等部。

 

この頃既に極度の人見知りだった私は、新しい同級生に親しい友人はできず、遊び仲間が以前から顔馴染みの先輩や後輩ばかりになったのは自然なことでした。

 

私が高校1年の時の主な友人が、高3の『T1』君、高2の『T2』ちゃん(注意:男です😁)、中3の『T4』君でした。

私の本名を含めて、みんな名前のイニシャルがTだったんですね(私がT3 笑)。

病気の種類も学年も出身地もバラバラな4人でしたが、一致団結してヤンチャでしたねぇ(爆)。

 

透析歴②に続きます(2回目😅)。